パーソナル・ビジョンの原則とは

7つの習慣』では、まず第1の習慣の「主体的である」ことからはじまります。
主体的でなければ、第2の習慣「終わりを思い描いくことから始める」も第3、第4、第5、6第、7の習慣も身につけることはできないでしょう。自分自身の土台となる大切な習慣です。

僕の手元にある『完訳7つの習慣 人格主義の回復』(特装版)では第1の習慣の解説が始まるまで、「…を発刊にあたって」「…を推薦します」「はじめに」と続き、
「第一部 パラダイムと原則」で「7つの習慣」自体の考え方が紹介されます。
キーワードは「パラダイム」「インサイド・アウト」「人格主義」「原則中心」「効果性」です。

今回の記事では、7つの習慣の全体を確認して、「パーソナル・ビジョンの原則」とはどういう意味かを探ってみたいと思います。

7つの習慣に対応する原則

7つの習慣それぞれに「〇〇の原則」と名付けています。以下の通りです。

「第二部 私的成功」
第1の習慣「主体的である」は、「パーソナル・ビジョンの原則」
第2の習慣「終わりをもい描くことから始める」は、「パーソナル・リーダーシップの原則」
第3の習慣「最優先事項を優先する」は、「パーソナル・マネジメントの原則」

「第三部 公的成功」
第4の習慣「Win-Winを考える」は、「人間関係におけるリーダーシップの原則」
第5の習慣「まず理解に徹し、そして理解される」は、「共感によるコミュニケーションの原則」
第6の習慣「シナジーを作り出す」は、「創造的協力の原則」

「第四部 再新再生」
第7の習慣「刃を研ぐ」は、「バランスの取れた再新再生の原則」

私的成功では、文字通り個人の在り方が問われています。
公的成功では、相互依存の社会にあって、人間関係をどう維持し、発展させていくかが課題になります。
再新再生では、再び個人に戻り、バランスの取れた仕事と人生を4つの側面「肉体」「精神」「知性」「社会・情緒」から築いていく方法を解説しています。

「パーソナル・ビジョンの原則」とは

第1の習慣「主体的である」の最初に次のような箴言(しんげん)が掲載されています。

意識的に努力すれば必ず人生を高められるという事実ほど、人を勇気づけるものが他にあるだろうか。
(ヘンリー・デイビット・ソロー)

「意識的に努力すれば」という言葉にあるとおり、自分自身が主体的に働き掛ける行動をする。これがカギになります。驚くほどの努力を積み重ね、自分の人生を切り開いている人は、身近にもたくさんいるはずです。そういう人を見たり、会ったりして話を聞くたびに、勇気が湧いてきます。また過去を振り返ると、自分にもそういう時期があったはずです。

第1の習慣「主体的である」は、「パーソナル・ビジョンの原則」で貫かれているという意味でしょうが、冒頭のタイトル以外にどこにも、この言葉は登場しません。また、解説もありません。あえて近い言葉を探すと、「セルフ・パラダイム」でしょうか。次のように記述されています。

人間を人間たらしめているのは、感情でも、気分でもない。思考ですらない。自分の感情や気分や思考を切り離して考えられることが、人間と動物の決定的違いである。この自覚によって人間は自分自身を見つめることができる。自分をどう見ているか、自分に対する見方、いわば「セルフ・パラダイム」は、人が効果的に生きるための基盤となるパラダイムだが、私たちは自覚によって、このセルフ・パラダイムさえも客観的に考察できる。セルフ・パラダイムはあなたの態度や行動を左右し、他者に対する見方にも影響を与えている。セルフ・パラダイムは、人の基本的な性質を表す地図となるのだ。(P93)
(中略)
それらが、原則に基づいたパラダイムなのか、それとも自分が置かれた状況や条件付けだけの結果なのか判断できるのである。(P94)

ここでは、誰でもいままでのセルフ・パラダイムを意識的に変えることができるということが読み取れます。

ビジョンとは、自分自身が思う「ありたい姿」と言えるでしょう。自分らしい将来像を思い描くということです。

セルフ・パラダイムが影響を受ける三つの社会的地図

著者は、私たちのセルフ・パラダイムは三つの社会的の地図(決定論)によって、大きな影響を受けていると言います。
三つとは、遺伝子的決定論(DNAが何世代も受け継がれている)、心理的決定論(育ちや子供時代の体験が性格をつくっている)、環境的決定論(取り巻く環境が今の状態をつくっている)です。

これらの三つの地図は、「刺激/反応理論」(特定の刺激に対して特定の反応を示すように条件づけられているというもの)に基づいているとし、果たして「人間の本質をそのまま映し出しているだろうか」「単なる自己達成予言ではないだろうか」「自分自身の中にある原則と一致しているだろうか」と疑問を投げかけています。

刺激と反応の間に選択の自由がある

第二次世界大戦時にナチスドイツの強制収容所に送られ、筆舌に尽くしがたい体験をしたユダヤ人精神科医のヴィクトール・フランクル(有名な著作に『夜と霧』がある)の事例を挙げて、刺激と反応の間について言及しています。

フランクル自身は、どのような目にあっても、自分の状況を観察者としてみることができたのだ。彼のアイデンティティは少しも傷ついていなかった。何が起ころうとも、それが自分に与える影響を自分自身の中で選択することができたのだ。自分の身に起こること、すなわち受ける刺激と、それ対する反応との間には、反応を選択する自由もしくは能力があった。

(中略)収容の中で、フランクルはほかの状況を思い描いていた。たとえば、収容所から解放され大学で講義している場面だ。拷問を受けている最中に学んだ教訓を学生たちに話している自分の姿を想像した
知性、感情、道徳観、記憶と創造力を生かすことで、彼は小さな自由の芽を伸ばしていき、それはやがて、ナチスの看守たちが持っていた自由よりも大きな自由に成長する。看守たちには行動の自由があったし、自由に選べる選択肢もはるかに多かった。しかしフランクルが持つに至った自由は彼らの自由よりも大きかったのだ。それは彼の内面にある能力、すなわち反応を選択する自由である。彼は他の収容者たちに希望を与えた。看守の中にさえ、彼に感化された者もいた。彼がいたから、人々は苦難の中で生きる意味を見出し、収容所という極端な環境にあっても尊厳を保つことができたのである。
想像を絶する過酷な状況の中で、フランクルは人間だけが授かった自覚という能力を働かせ、人間の本質を支える基本的な原則を発見した。それは、刺激と反応の間には選択の自由がある、という原則である。
選択の自由の中にこそ、人間だけが授かり、人間たらしめる四つの能力(自覚・想像・良心・意志)がある。自覚は自分自身を客観的に見つめる能力だ。想像は、現実を超えた状況を頭の中に生み出す能力である。良心は、心の奥底で善悪を区別し、自分の行動を導く原則を意識し、自分の考えと行動がその原則と一致しているかどうかを判断する能力である。そして意志は、ほかのさまざまな影響に縛られずに、自覚に基づいて行動する能力である。(P98~99)

当たり前のことですが、環境からの刺激に対して、反応する場合、その行動は選ぶことができるということです。たとえば人の言葉に感情的になって、こちらも感情をあらわにすることがよくあります。自分のありたい姿(自分が大切にしている価値観や原則もとに将来像を描いている)をいつも意識していると、このときに、少しを間をとり、どんな行動をとれば自分らしいかを考え、対応することができます。いつも、あらゆるシーンで僕たちは選択を迫られています。うまくいかないこともありますが、反応するときに、自覚・想像・良心・意志をという四つの能力を駆使したいものです。

そうしていくことで、自分にふさわしい「パーソナル・ビジョン」をつくりあげていくことができでしょう。ビジョンがなければ、目的地も目標も軸を失ってしまいます。

パーソナル・ビジョンを描いていくために

パーソナル・ビジョンには、いろいろな要素があります。自分自身が主体的に行動を起こしていくための方向付けです。。たとえば、仕事やスキル・経済・健康・知性や教養・家族・語学などついてどうしたいのかのイメージ作りで、多岐にわたります。全部の要素ごとにビジョンを立てることは、ともすれば枝葉末節にとらわれて大切なものを見失いがちになります。

そこで第2の習慣で扱われる「ミッション・ステートメント」を核に考えるといいでしょう。まずは、ミッション・ステートメントをどんと打ち立てることが大事です。ミッション・ステートメントがパーソナル・ビジョンといっても過言ではありません。

そして第3の習慣で学ぶ「タイムマネジメント」でバランスをとっていけば仕事や人生の訪欧付けに迷うことはないと思います。

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