キャリア・アンカーとは「どうしてもこれだけは犠牲にしたくない」ほどに大切にしているもの
2017/8/25
キャリア・アンカーとはどういう意味でしょうか?調べてみましたので、共有する意味で紹介します。
今回の記事の参考は、「キャリアの学説と学説のキャリア」金井 壽宏(神戸大学教授)です。(PDFをネット見つけて、参考にしました)。12ページの量ですが、専門用語も多く、基礎知識がないと理解するには難しい印象です。
僕自身も門外漢ですから的確な解釈ができているか疑わしい。そこで僕のアンテナに引っかかった部分を紹介していく形で記事にしています。
まず「キャリア・アンカー」という言葉について、Schein(シャイン)は次のように言っています。長くなりますが、引用します。
仕事が変わっても,会社ごと移っても、そのひとがどこでどのような仕事をしようと、「どうしてもこれだけは犠牲にしたくない」ほどに大切にしているもので、内容的には、次のようなカテゴリーがある。(Schein1990)
- 専門を極めること。
- 人びとを動かすこと。
- 自律・独立して仕事ができること。
- 安定して心配なく仕事ができること。
- 絶えず、企業家として(あるいは、企業家のように)なにか新しいものを創造すること。
- だれかの役に立ち、社会に貢献できること。
- 自分にしかできないことに挑戦し続けること。
- 仕事と家族やプライベートのバランスがとれるライフ・スタイルを実現すること。
一つくらいは思い当たることがありますね。
自分自身のアイデンティを保とうすることなんでしょうか。自分の内面から聴こえてくる声のようでもあります。この内容は仕事や人生においても大切な拠り所になります。
当ブログでは、キャリア・アンカーという言葉を使いません。
「ミッションステートメント」や「目的宣言文」という言葉を用います。このなかに上記のような内容が含まれます。
そして自らのライフ&ワークバランスや仕事に対する姿勢など、自分自身の安定と成長の軌道を保とうとしています。
それは日常のタイムマネジメントを効果的なものにしていきます。
人は仕事に就き、組織の中で生きていくなかで、さまざまな経験をします。苦境や挫折、不安などの連続です。
そこで「内的キャリア」という考え方を検討してもいいと思います。
内的キャリアの充実もひとつの成功
キャリア・アンカーが注目されるのは、「自分も内なる声に従った心ある選択をするためである」という学説もあります。これを「内的キャリア」というそうです。Scheinの示した上記のキャリア・アンカーの要素に基づいて、内的キャリアを充実させていくことは一つの「成功」と言って良いと思います。
「外的キャリア」とは、職務、役割などを挙げることができます。Scheinはこうした外的キャリアに適応していくことを「キャリア・サバイバル」と呼んでいます。サバイバルとは、「困難な状況を越えて生き残ること。また、そのための方法や技術」ということです。キャリアを築いていくのは、結構しんどいことです。
学ぶところは、内的キャリアの充実がなくては、外的キャリアの獲得は難しいし、継続できないことです。多くの人が経験しているように、精神的あるいは肉体的な破たんに見舞われます。
新しい扉が開陳(エピファニー)して、気づかなかった自分が顕現してくるという観点から、「キャリア・エピファニー」という構成概念の構築に取り組み始めている。(ブログ管理者注:エピファニーとは「神の出現」という意味。新しい扉が開き、新たな自分の姿が見えてくる)内的キャリアに基づくことが成功のカギでることはなんとなくわかります。外的キャリと整合性が取れないことのほうが多いかもしれない。どう折り合いをつけていったらいいのだろう。自分にとって納得のいく形で、内的・外的キャリアの方向付けのよりどころとなる方法はないだろうか。
キャリアの展開に戸惑う節目では、キャリア・アンカーに基づいて、慎重に選び取り、内的キャリアを充実させていくことがキャリアの成功だと述べたかもしれない。
しかし、せっかくキャリア・アンカーにふさわしい仕事についていても,その仕事,職場,会社に適応できないとさえないので、外的な適応も大切だとも述べたことだろう。シャインは、外的な職務や役割にうまく適応することをキャリア・サバイバルと呼び,それを実現するツールとして、戦略的職務・役割計画(Schein 1995)を提案している9)。
自分らしさを内面的に深く追求していても,その世界で客観的にうまくやっていけなかったら,それを成功と言えるだろうかという問題提起をした。
内的キャリアの充実がプライベートに与える影響
地位・所得の高いひとは、身体の病気にかかる率が低く、代表的な精神疾患の発症率も低く、適正体重で健康維持に優れ、アルコール中毒者やコカイン中毒者も少ない。
ビジネスとプライーベートのバランスが取れているからと言えるでしょう。
自分はどんなミッション・ステートメントを持ち、それを実現できるために、ビジネスにはどんな役割と姿勢で臨み、どんな成果を上げるのか。
プライーベートでは、どんな役割と姿勢で臨み、どんな長期的な目標を達成していくのか。自分自身をどのように磨いていくのか。
比較的、地位・所得の高い人はこのような意識を保つ、自制心が強いのではないかと思います。
キャリアを旅にたとえると…
キャリアを旅にたとえるなら、内的キャリアは、旅人の心の状態や充実感に関連し、外的キャリアは、旅路の風景の特徴にかかわる。
内容的には、内的キャリアには、キャリアを旅たとえる…いい表現です。こう思うと、人生の旅は楽しいものに変わってきます。長旅にはいろんなハプニングがあり、出会いがありますが、それそれで味わいがあり、まったく気が付かなった自分を発見したりする楽しみもあります。
@ 達成の誇り
A 内発的な職務満足
B 自尊心(self-worth)
C 仕事の役割や制度へのコミットメント(積極的なかかわり)
D 充実をもたらす関係(それ自体に価値・意味のある関係)
E 道徳的満足感
が含まれ、これに対して、外的キャリアには、
@ 地位やランク(階層上の位置)
A 物質的成功(財産・所有物・収入)
B 社会的評判、名誉、影響力
C 知識やスキル
D 友情やネットワークのコネ(資源や情報を得る用具的関係)
E 健康と幸福
が含まれる。
内的、外的キャリアを組み合わせ複眼で見る
己実現や個性的な生き方がいくら大事でも、環境に適応できていないと幸せにはなれない。もちろん、逆に、いくら地位、名誉、財産にめぐまれても内面的に空虚であれば、それも困る。だから、外面的な成功がキャリアのすべてだと主張しているわけではない。両方を組み合わせて複眼で見る必要性を説いているのであった。
この通りですね。
内的キャリアの成功だけでは、物足りないことは事実です。下記引用の河合隼雄先生の指摘にあるとおりです。個人差が当然あると思いますが、外的環境への適応あるいは応戦の活力が不足しては内的キャリアの充実も妨げるはずです。また、破壊的、攻撃的な側面を助長しかねません。
キャリアの成功を主観面と客観面の両方から捉えて4つのセルを念頭におけば、4象限で、(主観的に)幸福な(客観的)成功者、不幸な成功者、幸福な敗者、不幸な敗者がカバーできる。このうちの3番目と2番目、「外的にはさえなくても幸せなひと」、「勝者ではあるが幸せではないひと」(元の英語では、それぞれ、happy losers, unhappywinners)がかなりいることから、内的キャリアだけでキャリアの成功を論ずることを問題視する。
(外的キャリアの)世俗的な面を忘れて、自分らしさだけを追いかけると息が詰まる。
河合隼雄先生は、あまり若いときから、個性化や自己実現に囚われるとかえって危険だと著者との対談で強調されたことがある(河合・金井 2002)。
シャインもまた、節目でキャリア・アンカーを見据えて、キャリア選択を内面的な声にしたがっておこなうべきだと主張しつつ、同時に、選択した後は、その職場、職務、役割に適応することの大切さも強調していた。また、キャリア・コーンという名で知られるキャリアの水平的(職能や職種)、垂直的(職位、組織レベル)、および放射的(中心性)次元による分析──たとえば,「○○さんは、営業(職能)で部長(職位)だが、営業本部長に非常に重宝されている(中心性)」というような分析──もまた客観的キャリアにかかわっている。その意味で、シャインのキャリア学説は、内的キャリア論の代表格として捉えられるし、その面を照射してきたのは間違いないが、外的(客観的)キャリアを無視していたわけではけっしてない。彼は組織になじむこと(組織社会化)の研究にも従事しているのである。
節目でキャリア・デザイン、後はドリフトする(勢いに乗る)
いつまでもキャリア・デザインにとらわれないで、実行に移し、外的キャリアの充実にも挑むことが大切です。
キャリア・デザインという言葉には、節目で見えてきた選択肢から慎重に選ぶという意味合いもあるが、同時に、選択肢をデザインしているということは、迷っている、戸惑っているということでもある。
だから、もしだれかが、いつもキャリアをデザインしていたら、不都合なことである。デザインは節目だけでいい。同様に、ドリフトにも、「流されている」「漂流している」というネガティブな意味に加えて、「流れの勢いに乗っている」というポジティブな意味もある。節目で決めた(デザインした)あとは、いつまでも、この選択でよかったのかなどとくよくよ悩むよりも、勢いに乗るという意味でドリフトすることが大事だ。
だから、節目では、キャリア・デザイン的発想、したがってキャリア・アンカーなどで自分を知ることが大事だが、節目と節目の間では,クランボルツが説くように、偶然をうまく活かすべく、迷うより活動する、ここで使った言葉では、「勢いに乗る」という意味でのドリフトが大切になってくる。
キャリアのついての代表的な3つの説
長いキャリアを歩むうえで,自分で意識的に選択して創り出すフェーズ(シャイン的で東海岸的キャリア観が適合するフェーズ)と,偶然やってきた機会を思い切りうまく生かすフェーズ(クランボルツ的でレイドバックでリラックスした西海岸的キャリア観)とがある。このようなサイクルで捉えると,キャリア・トランジション・モデルを通じて,ふたつのアプローチが両立する。
来し方の内省と内的キャリアを重視するシャイン説,キャリアは節目(トランジション)サイクルを回ることを重視するニコルソン説,そして実行段階では勢いに乗り,行動するなかからよき偶然を活かすことを強調するクランボルツ説とが,うまく統合可能であるということがわかってきた。
その成果が,『働くひとのキャリア・デザイン』(金井 2002)と『キャリア・デザイン・ガイド』(金井 2003)であった。ここではまとまった例示として使わないが,この統合の仕方自体が,著者のキャリアの歩みと無縁でないことは,ここまでの記述でも垣間見られるであろう。
3つの学説を要約してまとめると
「トランジション」とは節目のことです。
キャリア・サバイバル(キャリアのある時点ごとに職務や役割に適応するという側面)とキャリア・アンカー(仕事や組織ごと変わっても,どうしても犠牲にはしたくない自分のキャリアの拠り所がみつかっているという側面)に助言を求めたシャインに対して、マクレガーは言った
──「MIT の経営大学院に必要なのは,おまえのアプローチだ。おまえは、ハーバード大学の社会心理学の博士だろう。他人のシラバスなど集めずに、自分で考えるんだ(You?ve got to figure it out)。新しいアプローチである限り、また、ハーバードとちがうことをやっている限り、おまえが好きなようにやればいいのだ」と。
3名の碩学の説には、共通している点もあるが、対照的な論点も目立った。
第1 に、シャイン説からは、長期的なキャリアを貫くもの(アンカー)と、そのときどきの仕事状況に適応すること(サバイバル)が必要なことを、
第2 に、ニコルソン説からは、キャリアには、トランジションの時期があり、そのサイクルに沿ってキャリアが進むことを、
第3 に、クランボルツ説からは、キャリアについては、ずっとデザインなどと騒ぐよりも、アクションを起こしながら偶然に身を任せるほうがいいということを学んだ。
しかし、著者がよく言えば統合的(批判されるとしたら折衷的)に、金井(2002、2003)などで展開してきたことはと言えば、碩学(ジャイアンツ)たちの肩に乗って、つぎのように要約される学説にたどり着いたことにすぎない。
キャリアには、節目の時期とそうでない時期があり、キャリア・トランジション・サイクルが長い人生の間で何周か回るなかで(ニコルソン説)、節目では、キャリア・アンカーなど自分の長期的な拠り所を診断し、それに基づいてキャリアをデザインすることが大切である(シャイン説)が、節目と節目の間にいるときには、ポジティブな意味でドリフトする(流れの勢いに乗る)のが適合し、積極的にアクションを起こすことによって、偶然のチャンスをうまく活かすことができる(クランボルツ説)。
一歩立ち止まり、これからのことを考えるときがあります。おそらく転機に立たされていると推測されます。
そのときは、自分に合った適切な道具を用意して、キャリア・デザインをしてみましょう。
当ブログで推奨しているのは、パーソナル・ビジネスモデルキャンバスを描いてみることです。
いったんそれに目途が付いたら後は動いてみることが、最高のフィードバックを呼び込みます。描いたパーソナル・ビジネスモデルキャンバスを、都度見直し、改善、修正していく材料にするといいでしょう。