ヒロインは強し。汝自身の価値を高める|税所(さいしょ)敦子の人生から
2013年9月21日(土)日経新聞【女性】33面に興味深い記事がありました。
税所敦子という女性の生涯についての記事です。
どんな人物か?
1825年〜1900年、ですから明治維新の真っ只中で青春を送っていた。
20歳で結婚、28歳で死別。男子を授かるがその子も亡くす。
単身夫の国薩摩に渡り、その母と継子の面倒を見る。姑に一心に仕える。
1875年(明治8年)皇后の和歌のお相手に抜擢、宮内省に出仕。
歌集に『御垣の下草』、紀行文集『心つくし』『内外詠史歌集』などがある。
歌人だったわけですね。
しかし、最初から歌人と称されていたわけではなかった。
結婚で躓き、その夢も微塵に砕けたことでしょう。
でも、幼いころから和歌に親しみ、よき師を定めて努力を重ねていた。
そうして身につけたセンスがやがて花開いた。
この記事に後段の部分を引用しておきましょう。
敦子は自分から手を上げて前へ出るタイプではない。与えられた環境で、その都度自分ができることを着実に黙々とやり遂げていった人である。深い教養や抜きん出た和歌のセンスが彼女の価値を高め、なにを語らずとも自然と周囲が一目置いて大舞台に用いられたのだろう。
理想を掲げることは大事だが、自らの価値観のみに固執すると時に思考や行動を狭めてしまう。好きなものを好きと思う心を忘れず、目の前の仕事に取り組み積み上げていくことで充実した人生を送れるという、彼女は見本のような人だ。
晩年の敦子は「明治の紫式部」と称された。紆余曲折を経て、理想へとしかと辿り着いたのだ。
敦子は自分の価値を理解していたと言えますね。
自分が一番ワクワクする和歌の道を極めることを生涯忘れることがなかったのでしょう。
鬼婆と言われた姑の世話もそれだからこそ乗り越えることができたのかもしれない。
本当に靭(しな)やかな女性ですね。
女性の本質を次のように指摘した言葉もあります。
「女人はものに従って、ものを従える身なり」
さて、
自分の価値とは一体なんなのか?
考えさせられた記事でした。
自分の興味ある分野に、磨きをかけよう。
十年一剣を磨く、という言葉もあります。
これこそ強力なキー・リソースですね。
一つのことを十年も磨けば、時間をかけて深めれば、
どこに出ても恥ずかしくないものになる。
ひたむきに続けることが人の心を打つ【広島の前田智徳選手】
広島の前田智徳選手が(2013年10月)5日の試合を最後に引退しました。
引退試合を終え、記者会見に臨んだときの言葉があります。
「志は高かったんですけどね」
(日経新聞2013年10月6日(日)14版1面のコラム「春秋」から。以下も。)
■ 広島の前田智徳外野手(42)はどんな人か。
・落合、イチロー、松井といった強打者が天才と認めた資質。
・絶頂期を襲ったアキレス腱断裂をはじめケガだらけの選手生活。
・わずかの差で届かなかった首位打者のタイトル。
・才能や努力に十分見合う結果が伴わなかった。
・「スポーツを『視る』技術 (講談社現代新書)」(二宮清純著)が紹介する彼の逸話は、
高校生にして求道者の趣であった。
主将を務める4番打者。
甲子園の試合、初回にタイムリーヒット。
攻撃が終わっても彼一人だけが、頭を抱えてベンチに座ったまま。
目を真っ赤にし、「オレはダメです」とつぶやいた。
ヒットを打ってもその内容が気に食わないとこうなってしまう。
部長は彼に頭を下げて、守備につくように促した。
■ 代打で出てくると怖かった。
私は野球ファン。
子供ころから巨人、大鵬、卵焼きで育ったので、今も相変わらず巨人ファンだ。
チームの運営などでは色々文句は言いたいし、気に喰わないことも多い。
しかし、ファンを続けている。
広島戦では、接戦になると必ず代打で前田選手が登場する。
見ている私まで心拍数が上がってしまう。
「いかん、やられてしまう」
こんな恐怖を感じていました。
引退で来シーズンからは怖い代打がいなくなる。
巨人も安泰だ。しかし、寂しい。
■ ひたむきに続けてきた。
掲げた高い志の旗を、ケガでズタズタになっても降ろさなかった。
前田選手のひたむきな姿勢が、人の心を打つ。
■ もうこれでダメだと思うときがある。
人生には何度か逆境に遭遇する時がある。
もうどうにもならないと感じる時がある。
それでもひたむきに自分のできることに全力で取り組む他にない。
自分を活かしていくために「ひとつ」のことを続ける【左官職人 挾土秀平】
2015/9/2
左官職人 挾土秀平氏の「プロフェッショナル 仕事の流儀」
メッセージは「臆病」であれ!
だからいろいろなところに気が回り出す。
最悪を考えて回避していくことだ。
怖くて逃げ出したくなることがしょっちゅうだという。
35歳の時に転機が訪れた。
天然の土を使った壁作りに挑戦し始める。
遅咲きの左官という人生だ。
「究める」「極める」「求道」という言葉が思い浮かぶ。
挟土さんは苦しい、醜い自分だからきれいなものが見える、と感じたと言う。
自分自身にあるマイナス面やネガティブなものはなくならない。
何かの際に、抑えてもなお自然に出てくる。
「きわめる」という過程でマイナス面さえも生かされてくる。
ともすれば、プラス面、ポジティブな部分だけに焦点を当てがちだ。
ありのままの自分自身を理解すること、それに恐れないことだ。
30歳半ば過ぎた人への挟土のメッセージは、「一つのことをずっと続けていくこと」。
すべては自分自身からスタートする。
無理に自分を変える必要はない。
今の自分を活かしていく道こそが「一つのこと」を続けていくことだ。
今しかないんだ。未来の土台をつくるのは【能楽シテ方喜多流 香川 靖嗣】
2016/3/8
能楽シテ方喜多流 香川 靖嗣さんのインタビューが掲載されていた。
タイトルは「能は人間を描く」だ。
私は能を鑑賞したこともない、だからよく理解していない。
それでもひとつの道に打ち込む人の言葉に感銘するものがあった。
香川さんは、この4月に25年ぶりの「野宮(ののみや)」勤める。これは源氏物語に題材をとった名曲だという。
香川さんは1944年生まれ、71歳だ。
能楽喜多流の名人とたたえられた15世宗家・喜多実師の直弟子だという。
12歳の時、内弟子に入った。
一部を引用します。
やはり20歳ぐらいまでに覚えたものは強い。若いときに体に入っていることは忘れません。師匠の喜多実先生は、「若いうちこそ稽古しておくんだ」
「先でやろうと思うとすでに手遅れ。稽古をするのは今しかないんだよ」と常におっしゃっていましたが、
この年齢になって、その教えの重さがあらためて分かります。
中略
先生は常々、「私生活がそのまま舞台に出る」「人間性が舞台に表れる」と語っておられました。
ご自身が後見として舞台に座っておられる姿も、盤石、不動。それだけで絵になる先生でした。
(聖教新聞 2016年3月8日(火) 12面 【伝統芸能】)
十代の初めから20歳までにしっかりと打ち込んだことによって、
その人の人間性の本質的な部分が形成さるようです。
いざというときはもちろん、常日頃の振る舞い方に表れてくるのでしょう。
このように指摘されると、わが身がなんとも置き場ない。
私のように辛抱がないのは、若き頃にそのような訓練というか修行が未熟だったというしかない。
若いときに、つらい、苦しい、逃げたい、そう思うこともたびたびあるでしょう。
これは、そのときにしかない「こと」だ。
今にして思うに、そのときこそ、勇気を奮い起こして、前に向かって堂々と進むべきです。
そのときこそ、未来を開くための肥やしをいっぱいため込んでいるのです。
若いときのさまざまな試練は「稽古」です。
今しかないんだ。未来の土台をつくるのは。
パーソナルビジネスモデルを今こそ描き出そう。